21.読本‐その3【最終回】

2017年12月

大正自由主義教育の影響が強く出たのは第三期の教科書ではなく、昭和8年から改定された第四期の教科書である。読本のみならず算数にも表れている。「緑表紙」とよばれる教科書がある。ぜひご覧いただきたい。1学年上巻には数字は出てくるが文字は一つもなく、挿絵だけでできている。数の合成分解を丁寧に扱い「数え主義」から脱却している。しかもこの挿絵は多田ただ北烏ほくうという当時の商業デザイナーが一人で仕上げている。読本も第三期に比べ国家主義的教材が増やされたが、教材を児童の心理と生活に適応させ文学化を図るという自由主義教育の特色が表れている。

『小學算術』1年 上

「緑表紙」と呼ばれる『小學算術』1年 上

昭和4年秋米国ウォール街で株式が大暴落し、これが世界恐慌に発展。日本経済も深刻な状況に陥った。輸出減少、企業の倒産、失業者が溢れ、欠食児童や女子の身売りが続出した。軍の青年将校や右翼活動家は、この行き詰まり状況は財閥とそれと結びついた政党支配層の腐敗にあるとし、軍中心の政府を作ろうとする。二・二六事件や満州事変を契機に国家改造が急速に活発化し軍部が台頭する。昭和12年の日中戦争に続き、昭和14年、欧州において第二次世界大戦が始まる。そして日本は英・米との臨戦態勢に入っていく。

昭和16年3月「国民学校令」が公布され、尋常・高等小学校は国民学校初等科・高等科に改められ義務教育8年となる。国民学校は独語のVolks(国民)Schule(学校)の翻訳ともいわれる。昭和16年より発行された第五期国定教科書は日本の「東亜とうあ新秩序」形成の一翼を担わされた。その目的は「皇國ノ道ニ卽リテ初等普通教育ヲ施シ國民ノ基礎的錬成ヲ成ス」とし、国語も「特ニ國體ノ精華ヲ明ラカニシテ國民精神ヲ涵養シ皇國ノ使命ヲ自覺セシムル」ことを要旨とする「國民科」に属した。第四期に復活した国家主義的傾向を更に強く打ち出した戦時教科書となっている。注目は、「大東亜共栄圏」構想に基づき、日本が占領した東亜の諸国を紹介する教材を『初等科國語五~八』の巻末に数編ずつ載せていることである。南満州鉄道の特急列車「あじあ号」に乗って行く満州の旅を描いた「「あじあ」に乗りて」、広大な支那の地で交通の手段を守る少年隊の話「愛路少年隊」や「ビスマルク諸島」「レキシントン撃沈記」等である。また太平洋戦争の緊迫化した状況下で編集された高学年教科書には「姿なき入城」「浮沈艦の最後」「もののふの情」など軍国主義の色彩が著しい。

『初等科國語 五』の付録「あじあに乘りて」、『初等科國語 六』「姿なき入城」

『初等科國語 五』の付録「あじあに乘りて」、『初等科國語 六』「姿なき入城」

昭和20年8月15日終戦。GHQ(連合国最高司令官総司令部)は教育分野を重視し、戦時教育体制と神道教育を廃止した。「修身」「日本歴史」「地理」は授業停止となり「ヨミカタ」「初等科國語」においても戦意を高揚する教材や神話や古典に取材した皇国意識を育てる教材は削除となり、生徒の手で墨が塗られた。この「墨塗り教科書」と翌年の「折りたたみ教科書」をもって明治36年以来続いた国定教科書は実質的に終了した。

『ヨミカタ 二』「ラジオノコトバ」「兵タイゴッコ」

『ヨミカタ 二』「ラジオノコトバ」「兵タイゴッコ」(墨を塗られた)


〔教育から振り返る日本〕を長期にわたり、ご愛顧いただき有難うございました。江戸期は想像以上に学問は自由でした。明治政府は教育を重視したため教育への統制を強めました。昭和に入ってからは思想や言論の自由が奪われました。学問・教育の自由こそ人類平和のいしずえです。

*講談社日本教科書大系参照
※資料は全て東書文庫蔵


(荒井登美也)