15.修身‐その1

2017年11月

これまで日本の私塾を中心に、江戸時代の教育を概観してきたが、このテーマはひとまず筆をおき明治以降の近代教育に移りたい。今までの連載で江戸期学問のすそ野の広さと水準の高さにお気づき頂けたと思う。日本の教育には大きな転換点が二度ある。ひとつは明治草創期で、もうひとつは戦後占領時代である。わが国の近代初等教育の中心をなした「修身」と「讀本とくほん」を中心に近代日本を振り返りたい。廃藩置県により全国統一の政治が可能となった新政府は、太政官の下に文部省を置き、明治5(1872)年「学制」を発布する。この学校制度は学区を仏国フランスに教則は米国アメリカに倣った。藩校や寺子屋が担った教育方式は欧米の教室方式に変化した。

そもそも明治維新とは、「清」が第1次・第2次阿片戦争で英・仏に敗れ、黒船に代表される欧米列強からの開国圧力に屈した日本が、開国から一気に西洋文明の摂取による近代化を選択した結果である。富国強兵を目指し教育も近代化の手法と考えたのは至極当然である。文明開化の号令の下、海外の国々とその人種、文化、技術などを紹介する啓蒙書や翻訳書が数多く出版された。福澤諭吉の『西洋事情』や中村正直の『西国立志編(自助論の訳)』などがベストセラーとなり、封建思想の排除と近代思想の普及を担った。学事奨励の太政官布告は、学問は身を立てる大本おおもととし、「ゆうに不學の戸なく家に不學の人なからしめん事を期す」と謳って、身分や貧富の差に拘らない国民皆学を提唱し、教育による近代化の方針を明確にした。だが残念ながらこの方針が故、後に国家が教育と教科書を統制する。文庫所蔵の教科書を見ていると〈教科書は時代を映す鏡〉であるのが良くわかる。

『西洋事情』

『西洋事情』:福澤諭吉訳著 全10巻、西洋諸国を紹介し法の下の平等を説く

『西国立志編』

『西国立志編』:中村正直訳 明治4年 全11冊、スマイルズの自助論を訳した数百名の欧米人の成功談


「修身」とは儒教の経典『大學』の條目の一つで個人道徳の修養のことである。学制に則り編成された小学教則には、修身は「修身口授ギョウギノサトシ」1週2時とされ「綴字カナヅカヒ」や「洋法算術サンヨウ」の1週6時に比べ1/3であり中心教科ではなかった。『民家童蒙解どうもうかい』『童蒙をしへ草』等を使用するよう小学教則に示されている。文部省は明治5年東京に師範学校を創始、米国から教授法の指導者スコットを招き教師の養成に着手し、教科書や掛図の作成を急いだ。師範学校と共に模範とすべき教科書を翻訳し編集し普及を図るが、民間の教科書を統制はしなかった。むしろ自由な出版を奨励し近代教育の普及を重視した。前述の『西洋事情』や『西国立志編』も教科書として広く使われた。

『小学教則』

『小学教則』:明治5年9月 修身口授の規定

『童蒙をしヘ草』

『童蒙をしヘ草』全5巻:福澤諭吉訳著西洋倫理の翻訳書

『修身論』全3冊

『修身論』全3冊:阿部泰蔵(米ウェイランドの著書の翻訳、米国共和政体を扱っている)

『通俗伊蘇普物語』全6冊

『通俗伊蘇普物語』全6冊:イソップ物語の訳、修身教材の資料書


正に新国家の胎動期である。征韓論否決を端とし士族の反乱が続き、国会開設を求め自由民権運動が高まり、世情は混沌とする。明治10年西南戦争が終結し政府内は概ね一本化された。そして明治12年8月、早くも欧米の近代教育を範とした教育内容に転換期が訪れる。明治天皇から『教學きょうがく聖旨せいし』が発せられた。実際は明治天皇の侍講で儒学者の元田もとだ永孚ながざねの起草である。維新以後の欧米文化への心酔を戒め、日本古来の儒教道徳を軸とする皇国思想に基づく教育への転換を求めた。併せて学制の不備が指摘され、翌9月、「学制」は廃止された。(続く)

※資料は全て東書文庫蔵


(荒井登美也)