15.修身‐その1
これまで日本の私塾を中心に、江戸時代の教育を概観してきたが、このテーマはひとまず筆をおき明治以降の近代教育に移りたい。今までの連載で江戸期学問のすそ野の広さと水準の高さにお気づき頂けたと思う。日本の教育には大きな転換点が二度ある。ひとつは明治草創期で、もうひとつは戦後占領時代である。わが国の近代初等教育の中心をなした「修身」と「
そもそも明治維新とは、「清」が第1次・第2次阿片戦争で英・仏に敗れ、黒船に代表される欧米列強からの開国圧力に屈した日本が、開国から一気に西洋文明の摂取による近代化を選択した結果である。富国強兵を目指し教育も近代化の手法と考えたのは至極当然である。文明開化の号令の下、海外の国々とその人種、文化、技術などを紹介する啓蒙書や翻訳書が数多く出版された。福澤諭吉の『西洋事情』や中村正直の『西国立志編(自助論の訳)』などがベストセラーとなり、封建思想の排除と近代思想の普及を担った。学事奨励の太政官布告は、学問は身を立てる
『西洋事情』:福澤諭吉訳著 全10巻、西洋諸国を紹介し法の下の平等を説く
『西国立志編』:中村正直訳 明治4年 全11冊、スマイルズの自助論を訳した数百名の欧米人の成功談
「修身」とは儒教の経典『大學』の條目の一つで個人道徳の修養のことである。学制に則り編成された小学教則には、修身は「
『小学教則』:明治5年9月 修身口授の規定
『童蒙をしヘ草』全5巻:福澤諭吉訳著西洋倫理の翻訳書
『修身論』全3冊:阿部泰蔵(米ウェイランドの著書の翻訳、米国共和政体を扱っている)
『通俗伊蘇普物語』全6冊:イソップ物語の訳、修身教材の資料書
正に新国家の胎動期である。征韓論否決を端とし士族の反乱が続き、国会開設を求め自由民権運動が高まり、世情は混沌とする。明治10年西南戦争が終結し政府内は概ね一本化された。そして明治12年8月、早くも欧米の近代教育を範とした教育内容に転換期が訪れる。明治天皇から『
※資料は全て東書文庫蔵
(荒井登美也)