1.紙の街・王子と東書文庫

2024年7月

(1)近代化産業遺産とは

 経済産業省は、幕末から昭和初期にかけて日本の産業近代化に大きく貢献した建築物、機械、文書などを「近代化産業遺産」として認定しました。北区では2007(平成19)年に、洋紙の国内自給を目指し、北海道へと展開した製紙業の歩みを物語る遺産群として、渋沢史料館、紙の博物館、国立印刷局王子工場・滝野川工場(現東京工場)、東書文庫の5つの施設が認定されました。

(2)なぜ、北区王子は紙の街になったのか?

 日本資本主義の父・渋沢栄一氏の主導で1873(明治6)年に設立された抄紙会社(のちの王子製紙)の工場を王子に建設することが決まりました。渋沢氏は「製紙及び印刷事業は文明の源泉」との信念のもと、抄紙会社の設立によって洋紙の国内自給を目指したのです。王子は石神井川の水運や千川上水の用水が活用できました。また、明治初期の紙の原料にボロ(破布)が使われており、人口が多い東京に立地した方が原料の調達がしやすいなどの理由から王子が選ばれたのです。1876(明治9)年には大蔵省の抄紙局工場(現国立印刷局)が操業を始め、王子は紙の街として栄えました。

飛鳥山から製紙工場を望む
1883(明治16)年
(紙の博物館所蔵)

「洋紙発祥の地」碑
(王子駅中央口前のベーカリーの横)

(3)近代化産業遺産としての東書文庫

 1903(明治36)年に国定教科書制度が始まると、用紙は和紙から洋紙に切り替わりました。東京書籍は、1909(明治42)年に国定教科書の翻刻発行会社として創業し、日本全体の4割の部数の教科書を供給しました。1936(昭和11)年に業容拡大に伴い、紙の調達が容易で、鉄道貨物の引込みが可能になる王子に移転しました。東京書籍は、明治から昭和初期にかけて国定教科書の翻刻発行を通じて、製紙業の近代化と発展に大きく貢献しました。東書文庫では、文部省が作成した国定教科書の見本本、それを翻刻した供給本、教科書の挿絵の原画などを保存し、その一部を公開しています。これらが、製紙業の発展を今に伝える貴重な資料群として評価されたのです。



上:東京書籍本社と東書文庫
下:国定教科書の印刷
1936(昭和11)年ごろ

(髙石和治)