東書文庫で受けた恩恵


ごんぎつね 画像

紀田順一郎氏が書いた『図書館活用百科』(新潮選書・昭和56(1981)年)という本がある。確か後に改題されて文庫本にもなっているはずだ。全国の特色ある図書館を12ヶ所選び、その図書館の成り立ちや収蔵書目について解説した本である。紀田氏の「いずれの図書館にもドラマがある」という心にしみるフレーズが、本の帯に記されているが、この中に「東書文庫」も紹介されている。

不勉強な筆者は、この本を読んで、初めて教科書に関する専門図書館があることを知った。と同時にその存在に強く興味を覚えた。もっとも当時は、小学校の教師をしていたので、その日その日の授業をいかにこなしていくかに精一杯で、古い教科書を調べるために専門図書館に通うという目的がそもそもなかった。

ところで当時、小学校の国語の教科書に「最後の授業」(ドーデ作)という教材が掲載されていた。当然それを小学生たちと読みあう仕儀となったのだが、文章の解釈についてどうにも腑に落ちないところがある。子どもたちも納得しない。しかし、指導書に書かれている以上の情報を入手する時間も手づるもない。ということで、そこで解決しなかった問題は結局、約20年後に『消えた「最後の授業」―言葉・国家・教育―』(大修館書店・平成4(1992)年)という拙著の中で明らかにされることになる。小学生の文章へのこだわりは、実は日本の文化史をたどることによって、よりはっきりとしてくる性質のものだったのだ。

この研究は、「最後の授業」という作品の日本での受容をたどる仕事でもあったし、なによりも教育の中でこの教材がどのように取り扱われてきたかをたどる作業でもあった。その中心にそびえ立っていたのが「教科書」であった。

「教科書」は、その時々の様々な文化の歴史の中で作られる。なぜその教材が「教科書」に採用されたのか、原典と教材文とは異同があるのか、あるとしたらそれはなぜなのか、また教室の中ではその教材がどのように取り扱われ、どのように子どもたちに読まれるのか、こうした問題を継続的に考えて行く中で、『「稲むらの火」の文化史』(久山社・平成11(1999)年)、『「ごんぎつね」をめぐる謎―子ども・文学・教科書―』(教育出版・平成12(2000)年)などの本も生まれた。

こうした一連の研究の過程で、多くの先学者が作成された目録類を活用させていただいたことがありがたかった。また、東書文庫を初めとした多くの研究機関で、昔の教科書や教師用書を手にとって拝見させていただいたこともうれしいことだった。こうした資料の閲覧の機会がなければ、筆者のささやかな仕事も実を結ばなかったにちがいない。この夏、別のテーマに取り組んで、東書文庫に通いながら、今までは恩恵を享受するばかりだったが、これからは少しでも恩返しをしなければと考えて始めている。


(府川源一郎)