9.文庫余話‐その1『蒙求』

2017年6月

今回は、「日本の私塾」の連載を休ませていただき、東書文庫の所蔵資料からこぼれ話をお届けしたい。『蒙求』とは、中国唐代に李瀚りかん(Li Han)が著した子供のための教科書(啓蒙書)である。李瀚についての詳細はわかってないが、成立は8世紀前半とみられる。『日本三代実録』によると、878年に貞保さだやす親王(清和天皇第4王子)が9歳で蒙求を読んだという記述があるようだ。文庫にも享和4(1804)年出版の『純正蒙求』から始まって、大正13(1924)年の『白文蒙求しょう全』まで16種41冊が所蔵されている。日本では、平安時代より長期にわたって、貴族や僧侶、武家、庶民に広く使用されてきた。その内容の面白さと幅の広さから、子供よりもむしろ、各時代の知識人などに好んで読まれたようである。「蛍雪の功」や「漱石そうせき枕流ちんりゅう」の故事は何れも蒙求にみえる。残念ながら文庫にはもとの蒙求はない。

十七史蒙求と〈項羽破釜〉扉・本文
十七史蒙求と〈項羽破釜〉扉・本文

蒙求は四字一句の韻文596句とその解説文からできており、本文の句は名前2字、内容2字からなる故人の逸話であり、暗誦しやすくできている。本文そのものは全体で2,384字となる。もとの蒙求以降、種々の改訂版が作られた。例えば、文庫所蔵の『純正蒙求』は、編者は元代の人胡炳文こへいぶん(1250~1333)で『易』に通じ朱子学を修めた。いうなれば朱子学派の蒙求であり、教訓型である。同じく文庫蔵の『十七史じゅうしちし蒙求』は宋代王令おうれいによるものであるが、歴史的題材に特化している。例えば、十七史蒙求の巻第十四の本文はこうである。〈項羽こうう破釜はふ 孟明もうめい焚舟ふんしゅう〉項羽はかまやぶり、孟明は船を燃やしたとの意味である。史記にもこれに似た〈破釜はふ沉舟ちんしゅう〉という故事がある。〈飯を炊く釜を壊し、船を沈めて退路を断つ〉から(背水の陣)と同様に使われる。これらの書は武家や知識層からさぞ喜ばれたであろう。中国では明代以降他の学習書に淘汰され、現存する蒙求の古いテキストはほとんど日本のものである。

東書文庫所蔵の蒙求類

東書文庫所蔵の蒙求類


さて、話を♪蛍の光♪の基になった故事に戻そう。文庫所蔵『箋註せんちゅう蒙求校本』に〈そん康映雪こうえいせつ 車胤しゃいん聚螢しょうけい〉とある。孫康も車胤も共に東晋の人物である。二人とも貧しく書を読む油が買えず、孫康は雪明りで、車胤は蛍を集めた光で勉強し、寒素かんそ博学はくがくにして世に知られ、孫康は御史大夫に車胤は吏部尚書に出世したという話である。♪蛍の光♪と言えば、日本では卒業式の定番ソングであるが原曲はスコットランド民謡である。明治10年代初頭に小学唱歌集編纂のため、稲垣千頴ちかいにより作詞され、明治14年の『小学唱歌集 初編』に載せられた。作詞時の曲名は『ほたる』で後に『螢の光』となった。

小学唱歌集の〈螢〉

小学唱歌集の〈螢〉


日本は古来より、仏教をはじめとし、漢字、思想、技術など多くを中国から移入し、そして互いに成長してきた。経国(*国を治めること)の基本は、いにしえひもとくことから始まるのではなかろうか。


(荒井登美也)